2008年7月28日 (月)

ブログ移転のお知らせ

こちらのブログは、下記のURLに移転いたしました。

http://kubikanri2007.blog.eonet.jp/

2008年2月17日 (日)

遠征が終わって。。。

最近、色々と、メディアに露出しています。


http://www.doshisha-sports.com/contents/feature/vol01.html


http://www.jiji.com/jc/zc?key=%b2%bc%ce%a4%c4%be%bc%f9&k=200711/2007112800065


京都府からスポーツの表彰していただけるそうです。

2008年1月30日 (水)

報告会などなど

●12/1
東京での、日本山岳会晩餐会で報告をしました。


●1/27(日)
東京、代々木にて

日本ヒマラヤ協会(HAJ)の「第五回新日本ヒマラヤ会議」で千田OBが報告をしました。


●1/30(水)
大阪梅田にて

日本山岳会関西支部で、報告会をいたしました。


2007年10月20日 (土)

お知らせ

無事、終了しました。
お越し下さった皆様、まことにありがとうございました。
京都新聞の報告会の記事はこちらです。

Hh2f2zzl_s当日の様子




 秋冷の候、皆様におかれましては、益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。今回の成功はひとえに、皆様方のご支援の賜物と深く感謝しています。この度、今般の学術登山隊にご支援・ご協力頂いた方々をお招きして、報告会ならびに祝賀会を開催する運びとなりました。また、日本山岳会関西支部の「学生部」設立の伏線でもあります。

            記
11/4(日) :からすま京都ホテルにて
★報告会:14時30分〜15時50分(受付、14時開始)
会費:無料。
特に参加連絡は必要ありません。当日は、登山活動及び学術調査活動・踏査活動の概要を、スライド等を交えてご報告致します。

★祝賀会(会費10.000円)、16時〜。なお、OBや関係者の方には、案内状を出しております。

関西の学生山系団体には、学校に案内状を出しています。 
それは、本学術登山隊の目的でもある「本活動を通じて関西を中心とした若手登山家を育成する」主旨に鑑み、京都を含む関西地域の学生山岳部やワンダーフォーゲル部、各種登山活動団体がまとまれる場所を作り、横のつながりを広げ、登山活動を活性化させ、ひいては次の登山隊の母体となるような組織を作りたいからです。関東には同様の組織がありますが、関西にはありませんでした。

当日は、日本山岳会関西支部『学生部』設立についての、詳しいご案内をさせて頂く予定です。是非とも御参加下さい。ご協力のほど、よろしくお願いいたします。


会場:からすま京都ホテル(TEL:075-371-0111、京都市下京区烏丸通綾小路下がる西側、地下鉄烏丸線「四条駅」南6出口すぐ)

小谷の怪我について

1/28追記
↓小谷の怪我は、順調に治っているようです。


『帰国して京大病院で見てもらったところ、右足小指の指先から第一関節の間の骨が綺麗に折れていました。
複雑な骨折や変にくっついたりすることを考えていたので、思っていたより良かったです。
怪我をしてからずっとしていた、薬指と一緒にテーピングという処置は的確だったらしく、このまま続けなさいといわれ、あとは痛む時用の経皮のボルタレンをもらっただけでした。
11月28日に再度レントゲンを撮って、くっついていなかったら手術をする可能性が出てきます。

文:小谷紘平』

ルンポ・カンリ(7,095m)西面偵察レポート

(Blogアップ用)
■メンバー;千田
■行動概要;
9/25 車で移動、ラルー⇒新トンパ⇒拉藏(ラクツァン)⇒卓松吉(ドーソムチー)⇒車止め(ターチョプ?)、テント泊
9/26 馬で移動(約8km)、〜ルンポ・カンリ南西稜偵察、テント泊
9/27 ルンポ・カンリ北西稜偵察、テント泊
9/28 馬で移動(約12km)、⇒卓松吉(ドーソムチー)周辺、テント泊
9/29 車で移動、⇒拉藏(ラクツァン)〜他メンバーと合流
■コメント
2002年(カキュ・カンリ初登頂)および2004年(ギャンゾンカン&パチュンハム初登頂)と過去二回の西チベットでのエクスペディションの際に、ルンポ・カンリを西側から遠望した。周囲に高い山がないため一際大きく見えるその姿に、いつかは登ってみたい山の一つとして憧れを抱いている。日本ヒマラヤ協会の試登、および中韓合同での初登頂ともに、東面からとのこと(注;後者については、私は報告書等を見ておらず
人から聞いた話)。あまり手垢のついていない西側からトライしたいと思っている。今年、より近づいて情報を集めることは、私にとってはクビ・カンリ初登頂と同じぐらい、あるいはもっと大きい目的だった。
9/24にBCを撤収、夕方にラルーにて翌日からの予定をリエゾンのヌルブと交渉する。ヌルブの話は、カイラス巡礼(学生の希望)とナクチューシャン訪問(和田さん希望)は可能だが、ルンポの偵察はNGだとのこと。一時は交渉決裂し、他のプランに関心の無い私は、先にカトマンズへ戻ることになりかけたが、かなり沈んだ私の表情に情けをかけてくれたのか、兎にも角にも、偵察はOKとなる。

9/25、漢族ドライバーのランクル一台に、私とヌルブのキッチンボーイ、ケサン氏(英語を理解可能)を乗せてルンポを目指す。当初の情報収集では、「チャンゴーシャン」という大きな集落があり、そこからルンポまではすぐに行くことが出来る、と理解していた。しかし、行けども行けども、それらしい集落はない。方角も違っており、途中で引き返し改めてローカルに確認したところ、別の小さな集落に行きなさいとの由。そこからは、ローカルガイドも同乗してルンポの方角に向かう。雨が降っていて山は全く見えず、どのくらい近づいたのか分からない。おまけに、ケサンは寝袋を持ってきておらず、拉藏(ラクツァン)へ戻るとのこと。通訳なしで、ローカルガイドとやりとりせざるを得ない。今日は、車止めにて一人でテント泊となる。食料も2泊分しか持っておらず、食い延ばさなければならない。

ケサンが戻る前に決めておいた話の要点は、�馬と馬方(=ガイド)には、一日あたり100元を支払う、必要数は馬2頭と馬方1名、�9/29には、ランクルで私をピックアップしにくる、その場所は既にローカルガイドに伝えたので安心しろ、という2点である。「まぁ、ほんの片言のチベット語は話せるし、漢字の筆談もできるだろうし何とかなるだろう」と楽観的に考え、久々に一人の夜を過ごした。「明日にはルンポを間近に見ることが出来るはず。。。」

9/26、ローカルガイドと馬2頭は約束どおり現れた。しかし、なぜか人は2名。2人分の給料を要求される。筆談しようとしたが、漢字は理解できない。なんとかうまくごまかして、帰りは安くしろ、とノートに数字を書いて見せる(行き400元+帰りに200元)、彼らも納得したようだ。無事出発となる。天気もやや回復し、ルンポの様子も見えてきた。イメージしていた姿と違うことなく、山頂近辺から、西側に1000m以上の真っ白な雪壁が切れ落ちている。雪壁の両サイドにはリブ状の枝稜が走り、南西稜北西稜が山頂を支えている。
進み始めてみると、予想以上にルンポの近くまで来ていることが分かってきた。また、ルンポの西側ではなく南側に連れられているのでは?と不安を抱いていたが、それも杞憂のようだ。わずか2時間程度で、事前に考えていたキャンプ予定地まで着いた。川や谷の名前も教えてもらった。
明日は移動する必要がない、とはっきりしたので、「彼らに明日は来なくていい、明後日迎えに来てほしい」旨を理解させなければならない。チベット語で今日(ティリン)明日(サンニン)明後日(ナンニン)を伝え、我要(ウォーヨー)我不要(ウォープヨー)を中国語で伝え、馬とガイドを指差しする。3日とも仕事があると思っていた彼らは、少しがっかりした様子ながらも理解してくれたようだ。
午後はたっぷり時間があったので、さっそく、ルンポからみて真西の谷(ドノンツァンポ)を上がってみる。ロシアンマップでは表記されていない氷河湖から100mほどUpした地点で、2時間以上ねばったが、山頂にかかる雲は殆ど晴れない。それでも、南西稜の全容はほぼ把握し、キャンプ候補地も確認することができた。

9/27、この日は更に天気が悪く殆ど山頂は見えない。昨日上がった谷より一本北に位置する谷を上がる。北西稜の様子がみえるものの、下部しか確認できない。この日も我慢を決め込んで2時間以上ねばる。ほんの一瞬だが山頂と思われる箇所までラインも確認できた。昨日じっくり眺めた南西稜よりもこちらの方が難しそうだ。
9/28、約束どおりに迎えが来る。一安心。しかしこの日、および翌日と天気はますます悪化し、完全にはれた天気の下でルンポを眺めることは叶わなかった。偵察としては十分に満足な成果を得たものの、「これぞルンポ!」という、皆を惹きつけるような写真を撮れなかったのは少し残念だった。

 余談をひとつ。一旦ローカルガイドと妥結したはずの支払い金額は、彼の頭には理解されていなかったらしく、600元+100元ボーナスのところを900元も要求される。食料をもらったり、地名を教えてもらったり、といろいろと良くしてくれた部分もあったので、少々妥協して800元を支払う。彼とも握手をして納得して帰ったはず。。。。。しかし、翌日に彼の親方みたいなおじさん(筆談ができる)やってきて文句をいう。「お前はあのガイドに300元しか払っていないと聞いた。あと500元を払え」とのことらしい。ひょっとすると3日分を支払えとの意図だったかもしれない。ノートに、「不理解(プーリージャと発音するらしい)」「我猛怒」「我真話」といった漢字を書き並べて、最後には、昨日のメモで、900元700元の間をとって800元と説明したページを「証拠」として彼に示してようやく理解してもらった。身の危険を感じるほどではなかったものの、貴重な現金収入だけに必死で随分とせこい因縁をつけられた。こんなところでも、レシートを取っておかないと危ないなぁ、とよい教訓になった。
文/千田

2007年10月11日 (木)

帰国

帰国

10月10日午前7時頃、千田登攀隊長、下里隊員、小谷隊員、藤井隊員、小林隊員、寺倉隊員の6名が関西国際空港に無事到着しました。

和田隊長、石川隊員は先発で既に帰国。谷隊員はネパールにてトレッキング中です。

早朝にも関わらず、大きな横断幕とお出迎え、ありがとうございました。

まずは報告まで

文責・小林

2007年10月 8日 (月)

カトマンズに帰ってきての個人の感想

明日の昼にカトマンズを発ち、バンコク経由で十日に帰国します。カトマンズに帰ってきての個人の感想を、既に書いてある人の分だけアップします。

今回、遠征で日常生活では得難い経験を得た。これはひとえに、家族や支援していただいた方々のおかげです。御支援ありがとうございました。そして、これからも、お世話になると思います。そのときは、またよろしくお願いします。 石川

中身のこいチベットです。一ヶ月間を終え、全員無事にカトマンズに戻れたことをラマと応援していただいた皆様に感謝したいです。 藤井

Already帰国気分(笑)全員無事アンド元気で何より。ダンニャバード! 小林

We love Nepal! 下里

今、カトマンズ最後の夜にこの記事をアップしています。家族をはじめとする大勢の方々の応援が無ければ遠征の成功は無かったです。ありがとうございました。このBLOGを見てくださった方、ありがとうございました。もう少しでこの更新も終わります。最後までよろしくお願いします。 小谷

2007年10月 6日 (土)

次の目標を目指す

Xokwdmws

片付いていくB.C.

41bziabk_s

時間通り迎えに来てくれたランクル。ほっとした・・・

Qbswszw0

ルンポ南西面

M2kdhfys

ルンポ北西面


5uzgiyz4_s

カイラス組 記念撮影

Vdfvxjcb

馬で河を渡る

Ngihives

チベット高原を馬で行く。

Plwtdv4i

カメラで撮って見せてあげると喜ぶ子供たち。デジカメの大きな液晶が活きる。

Etqmhvlp

中国のオレオ

Psgtcodg

国境の河。奥はザンムーの町

4mo_gtkf

カトマンズで後片付け


次の目標を目指す
 8月24日ベースキャンプを出発し、次の行動が始まった。目標は3つ。谷、下里、石川、藤井、小林の学生と寺倉の6名はカイラス巡礼へ。和田、小谷は河口慧海の足跡調査のため納曲郷(ナクチューシャン)へ。千田はルンボ・カンリ(7095m)西面の偵察へ行くことが目標である。
 この3つの計画はTMA(チベット登山協会)へ登山許可申請を出す段階ではすべて計画に入っていた。しかしながらTMAからチベットの軍・公安(警察)へ許可申請を出す段階で全て削除することになった。納曲郷は外国人に対する未開放地域であることと、現在、疫病対策でチェックポイント(新トンパの先にある)が閉鎖されていて許可が出ない。カイラスは登山計画と別なトレッキング計画であり費用面で折り合いがつかない($1,000/人を要求)。ルンボ・カンリ偵察も軍・公安の許可が取れない、等の理由である。ペンディングのまま現地で再交渉しようということで日本を出発した経緯がある。
 チベット入り後、リエゾンオフィサーであるTMAのヌルブにこの3点の計画手配を依頼した。ヌルブは当初、計画に無いので今から手配することは出来ないと一切交渉に応じなかった。登山活動に入る前に何とか進んだのはカイラス巡礼の計画で、費用さえ出せば許可の取得を進めることで合意した。予備日程の都合で行くことが出来ない場合も有るのでまず許可の取得のみ進めた。登山終了後、納曲郷とルンボ・カンリ偵察の交渉を再度開始、ヌルブは強硬に反対していたが軍・公安・TMAに内緒で実行する交渉が成立した。今まで色々なリエゾンオフィサーに接してきたが彼ほど柔軟に登山隊の意向を大事にしてくれる人材はTMAにいなかった。フレキシビリティのあるTMAの人材に素直に感謝した。
納曲郷行きに対して最大4泊5日でラルーから出発してラルーに戻る(チェックポストを通らない)こと、納曲郷に近づかない(軍、公安が巡回に来ている)こと、の条件がついた。馬方の情報では往復6日はかかるとの話であったがとにかく出発できる。
ルンボ・カンリ偵察についてはランクル(四輪駆動車)を使わなければ行けない。TMAのランクルは許可の取得が無いので使えない。内緒で実施するにはどこかで車を調達することが必要である。今回の登山隊で使っている帰路の車はトラック1台、ランクル3台である。幸いランクル3台のうち1台が外部調達(TMAの所属でない)で漢族の運転手である。ヌルブが交渉し$800で往復120キロメートルある車止めまでいってくれることになった。これも当然、軍・公安・TMAに内密での実施である。
これら、3つの計画の実施については順次報告していく予定である。
9月29日それぞれ目標を達成し、拉蔵郷(ラクツァンシャン)にて合流した。脱兎のごとくサガ、ニエラム、ザンムーを通過、10月1日全員無事カトマンズに戻った。    
隊長 和田豊司

2007年9月24日 (月)

BCを離れるにあたって

M2ez0z8n
学生隊員全員

BCを離れるにあたって
 丁度8月24日にBC入りして一ヶ月になる今日、住み慣れたベースキャンプを離れます。一丸となってクビ・カンリを初登頂した後、アブシ、ランタチェンへの試登で隊員のそれぞれがヒマラヤの厳しさを体験しました。その生々しい感想を活動報告に載せさせていただきました。日本を出発する前の現役隊員の発言と今ベースキャンプでの登山活動を振り返る発言は天と地ほど変わっています。現役隊員が大きく成長した姿を見て気持ちよく帰路につくことができます。まだカイラス巡礼や学術活動、新たな登山へ向けての偵察活動などがありますがチベットからの活動報告は最後になると思います。
 本登山隊実行委員会をはじめ、支援していただいた各団体、企業、友人、ご家族のご声援本当にありがとうございました。
 隊長 和田豊司